木工作家さんの紹介で宮大工さんの仕事現場を拝見させて頂きました。
現場は桜で賑わう京都で一番人気のお寺の中にある三重塔。
現在解体修復している所でした。
色々見させていただき、お話を伺わせて頂きました。
非常に面白かった所を少し。
驚いた事は、修復する際の道具は、その作られた時代に使ってた道具に合せるという事。
大まかに木を断栽する時は別にして、仕上げの段階の道具はその当時と同様にする様です。
いきなり「この柱を見てもらうと、槍鉋(ヤリカンナ)と台鉋(ダイカンナ)を併用しているのですよ。」と
「?」としていると
「ほら、削り跡を見ると違うでしょ。これが槍鉋の痕。」と実際に槍鉋で削って見せて頂き(上画像)
「この塔は、ちょうど台鉋(現代のいわゆる鉋)が出てきた頃に作られたという事に成るのです」
宮大工さんによると
解体前は江戸初期に作られた塔という事で始まったのですが
この二つのカンナを使われているという事は
台鉋が使われ始めた応仁の乱(1460年代)前後の建物という事に成るそうなのです。
またこの三重塔は一段目、二段目、三段目それぞれ手が違う。
応仁の乱で京都が乱れた際、腕のある多くの大工は地方の大名に抱えられ、いなく成った。
だから寄せ集めの大工でこの塔を作ったという事でした。
以前地質調査されてる方に伺った際は、その方の時間感覚は地球時間で見てるので
万年、億年単位で調査している訳で、人間が地球に誕生してまだ間もないという感覚。
この宮大工さんにとっても江戸時代なんてごく最近という感覚。。
日本人が、自分の一生を考えられ、家族を大切にするという感覚を持ち出したのも
ちゃんとした民家という物が存在し、豊かに成りだした江戸時代からで
いつ死ぬか分からない戦乱期の中世は、神は家族より近くに存在し
合理的な考え方もなく
今では想像もつかない全く違った感覚を持った日本人であったという事でした。
チョットの違いから、その時代を想像し、作り手の想い、考え、生活まで
思いを巡らすお話。非常に面白く、興味の尽きない時間でした。
元の木材が松の場合は交換するが
ケヤキや檜の場合は概ね交換する必要無く
削れている所や、釘穴を補強すれば使えるそう。
500年経ってもまだ、次の修復までは大丈夫ってスゴイ。